ワタアメの夜
時々 本質をついた言葉よりも
なんとなくそれをあらわす言葉のほうが
ちょうどよかったりもする
今はきっとそういう時期なのだろう
すべてにおいて 明瞭にしなくても いいよねと
ビビットな空の片隅に どこかマットな雲を探す自分がいる
ハッキリしないほうが ちょうどいい時もあるのかも知れない
だから 時折 ふっと
長年慣れ親しんだ日本語でも
かじりかけの英語でもなく
たかだか何か月か滞在しただけの 遠い南の島の言葉が
いちばん最初に 口から出そうになる瞬間があるのは
もしかしたら そういうことなのかな
そして そうすることで
口の中で ころがしているうちに ふわりとどこか飛んでいってしまう
そのくらいが ちょうどいい
届かないことが わかっているのに
照れて濁す仕草が 愛らしい 今は
未来のレールの一部を 切り取ってひっぱってくるよりも
このワタアメのような 一夜を 大事にしたい
甘くてふわりとした その中に
核心が隠れていることもある
めんどくさいのではなく ずっとずっと大事なものがあるからなのだと
もったいないのではなく 痛みがわかるからそうするのだと
雑とは言っても
チカラまかせと じゃじゃ馬は また違うのよねと
今日は オンナ同士の会話
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